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屈辱に耐えながら一生懸命に勉強

卒業してすぐに国家試験に合格、晴れて歯科医として浅見矯正歯科に勤務することになりましたが、ここは名前どおり矯正専門のクリニックです。ところが、先ほどもお話したようにインタ−ン生時代、矯正科についてはただ見学しただけです。それだけ高度な技術を要するのが矯正歯科ですが、とにかくまったくの一から勉強しなければいけません。

 

そこで浅見歯科では無給のまま勤めながら、一方、大学病院の矯正科に専修生として半年ほど通いました。大学に残った4人と机を並べての勉強です。私をさんざん非難し、晴れて矯正科に採用された彼らと一緒に学ぶのは、口には出せない屈辱でしたが、基礎的な技術を身につけないことには、矯正歯科医として歩いていけません。実習講義が終われば。彼らはさっさと帰っていきましたが、私はひとりで残って、装置のつけ方などを何度も繰り返し勉強しました。

 

いま思い出しても、学生時代をふくめてあれほど一生懸命勉強した時期はほかになかったでしょう。しかし、それでもなかなか一人前になれないのが矯正歯科医です。大学病院で4年残ることになっていましたが、本当に一人前になるには10年かかるといわれていました。実際、大学に残った彼らも、4年もたたないうちにやめていったほどです。

 

その点、私の場合は一方で毎日実践をやっていましたから、ある意味では幸運でした。といっても、もちろんすぐに技術が身についたわけではありません。それどころか、最初の頃は失敗の連続でした。朝から晩まで矯正の装置をつけたりするのですが、これがなかなかうまくいかない。女性の患者さんに「先生、早くしてください」といわれ、あわててワイヤ−を曲げて入れては、あとで先輩医師に「なんでこんなもの入れるんだ!」と叱られたりしました。

 

毎日、胃が痛くなるような日々でした。初めは無給でしたが、秋まで大学で勉強したあとは、給料も出るようになりました。そうなると責任も生じてきますから、よけい一生懸命にならざるをえません。

 

そうして2年ほどは四苦八苦しながらの治療でしたが、3年目に入ってからは、かなり慣れてきました。毎日、何十人という患者さんを相手にするのですから当然かもしれませんが、大学に残っていたかつての同級生たちより、私のほうが矯正技術に関してはるかに上達していたように思います。

 

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