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大学院で勉強し直す

昭和57(1982)年、私は母校の愛知学院大学歯学部大学院博士課程に入りました。先ほど述べたように、矯正歯科医として行きづまり、基礎から勉強し直したいという気持ちと同時に、その4年前、大学に残った級友たちを見返してやりたいという、ちょっと思いあがりもありました。

 

まわりの人たちは、卒業して4年もたって大学院の試験に合格するはずがないと見ていたようです。私自身も難しいことは承知していましたので、懸命に勉強しました。本当は矯正科の大学院に進みたかったのですが、当時、矯正科では大学院生をとっていませんでした。そこで、歯の病理全体を研究する歯口病理学を専攻することにしました。歯の病理という原理原則がわかれば、本来の矯正の役にも立つだろうと考えたのです。

 

ここで少し余談めきますが、大学院入試の勉強についてのエピソ−ドをお話しましょう。卒業してから治療の実践は毎日やっていましたが、机に向かっての勉強からはずいぶん遠ざかっています。これは中途半端な勉強ではとうてい合格できそうにありません。そこで私はある作戦を考えたのです。過去何年間の問題を取り寄せて研究し、さらに、私が受験する年次の出題を担当する先生の傾向を徹底的に分析、そこに集中して勉強することにしました。

 

なんのことはない、前にお話したテニス部時代に“影の監督”としてやっていた方法です。といってもスポ−ツとは違いますから、アテが外れたら無駄骨に終わってしまいます。ところがなんと、実際の試験にのぞむと、徹底して勉強していた論文がそっくり出題されていたのです。英語の論文で、それを日本語に訳すわけですが、すっかり頭に入るほど繰り返し勉強していましたので、英文を見ないでもすらすら訳文が書けるほどでした。

 

こうして晴れて合格。ここまでは実にラッキ−でした。私が師事することになった病理の亀山教授に「君の英語力はすごいね。トップクラスで合格だよ」とほめられ、まさかテニス部式のヤマカンと白状するわけにはいきませんから、「まあ、あのくらいでしたら」と、得意気に答えました。

 

ところが、これがとんでもない結果になってはね返ってきたのです。大学院生になってまもなく、亀山教授が学会の専門誌に外国文献の日本語訳を発表することになり、「岸本君の英語力なら十分にこなせるはずだ。僕の代わりに頼むよ」と、翻訳を命じられたのです。入試のときは歯科一般の論文でしたが、今度は病理に関する最新の専門論文です。

 

いまさら「無理です」と断るわけにはいきません。手渡されたずっしりとした論文にざっと目を通してみましたが、まったく知らない病変などの単語が並びチンプンカンプン。それからは辞書と首っぴきで取り組みましたが、子供の頃から自分で経験したり納得しないと先に進めないという、やっかいな性格ですから少しも進まず、もう泣きたいような気分です。必死になってやりましたが、後半は自分でもわけがわからなくなってしまいました。やっと終えた訳文を、亀山教授は「前半はよくできてたが、後半がおかしかったので手を入れたよ」と、なんとか合格点をもらい胸をなでおろしたものです。

 

こうして始まった4年間の大学院生活でしたが、ここで歯口病理学の基礎から専門的なことまで全般に勉強したことが、やがて歯を抜かずに矯正する方法に出会い、それを深く理解することにもつながっていったのです。

 

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